順調に見えた日々の裏で
富山県魚津市の静かな環境で育ち、カナダ留学で広がった価値観を胸に、帰国後はホテルマンとして15年間勤務しました。
天皇陛下をはじめ、金メダリストや著名アーティストなど一流の方々をお迎えする現場で、コミュニケーション力を磨き、接客業務や後輩育成にもやりがいを感じていました。
人間関係にも恵まれ、「安定した日常」を歩んでいる——当時の私は、そう信じていました。
誰にも言えなかった本当の私
しかしその裏で、心と体は静かに限界へ向かっていました。
長時間の夜勤、早朝から始まるシフト、昼夜がひっくり返った生活。本来、人間の体が持つ“自然なリズム”とは逆行した働き方は、じわじわと確実に体調をむしばみます。
夜勤明けの独特のだるさ、体の奥に残る緊張、寝ても寝ても回復しない深い疲労感。介護士さん、看護師さん、警備員さん、そして早朝から働く保育士さんや栄養士さんも──
あの独特の体が重たい感覚に覚えがあるのではないでしょうか。
私も同じでした。仕事中に乱れる食事、気づけば癖になっていた暴飲暴食。どれだけ睡眠をとっても疲れは抜けず、肌荒れ、むくみ、体重増加、イライラ……自分が自分でなくなるような感覚だけが膨らんでいきました。
そして追い打ちをかけるように、産後の現実は想像以上に過酷でした。会陰切開の痛みで座れず、ドーナツクッションも役に立たない。次女の産後は背中の激痛で授乳すら座ってできず、床に座ることすら困難に。
赤ちゃんとの生活は幸せよりも痛みとの闘い。抜け出したいのに、どうすればいいのか分からない日々が続きました。
たった一冊の本との出会い
状況を変えたのは、富山市の書店で偶然手にした一冊の本でした。
「ペタ腹にするのに、おしり筋?」
思いもよらない視点に衝撃を受け、その場で読み進めるうちに心が揺さぶられました。
すぐにオンライン受講を決意し、体験セッション募集の開始時間にはアラームをセット。震える手で申し込みを完了させた瞬間、長い停滞が動き出したのを感じました。
初めて自分の体と向き合う
受講の最初の課題は、自分の体を正面から見つめることでした。担当講師から「まずは、全身の写真を送ってください」と言われたとき、正直、心がざわつきました。本当は送りたくない。見せたくない。自分でも直視したくない。夫に写真を撮ってもらう瞬間も、胸の奥がぎゅっと縮むようで、「こんな体、残したくない…」と思うほど本当にイヤで。撮れた写真を開く手も震えて、画面を見ることさえ抵抗がありました。
そして──
いちばんショックだったのは、撮れた写真の後ろ姿でした。そこに映っていたのは、自分だと信じたくないほどの体型。「私、こんな後ろ姿を……ずっと他の人に見せていたんだ」その事実が胸を突き刺し、息が詰まるほど苦しくて、画面を閉じたくても閉じられませんでした。でも、その見たくなかった現実が、私の人生を変える最初の一歩になったのです。写真に映る自分を前に、言葉を失うほどショックを受けました。けれど同時に、深く静かに覚悟が生まれました。
「投資したからには、必ず取り戻す。絶対に変わる。」
育休中の3ヶ月、家事の合間を縫って毎日20分を自分のために確保。講師にも本気で変わりたいという想いを伝えたくて、とにかくコツコツと継続し続けました。あの重たかった一歩が、振り返れば私の人生を大きく動かすスタートでした。
数字で現れた本物の変化
3ヶ月後、私は生まれて初めて、努力が本当に実を結ぶ瞬間を体験しました。
ウエスト −6cm
骨盤幅 −5cm
体重 −5kg(食事制限なし)
鏡に映るシルエットが日々変わっていき、コロナ禍で久しぶりに再会した友人たちからは「え、どうしたの!?」と驚きの声が次々と上がるほど。見た目だけでなく、心まで軽くなるような大きな変化でした。
アカデミーに入校することはすでに決めていたので、驚く友人にその話をすると、「もしモニター募集するなら、絶対やりたい!」と、その場でモニターが決まってしまうほどでした。
そして育休が明け、気持ち新たに復職したとき。なんと、制服が2サイズもダウンしていたのです。産後にこんなに綺麗に戻ってくるなんて…と、職場の人全員が本気で驚いていました。(産休前がひどかっただけに、余計に。笑)
最後のセッションを終える頃、もう迷いは微塵もありませんでした。
「これだ。これこそが、本物だ。」
書籍を手にしたあの日からずっと心にあったNaokoアカデミーという存在が、次に進むべき道として鮮明に見えた瞬間でした。
届ける側になる、と決めた瞬間
ホテル勤務時代、片道1時間以上の通勤。仕事の日は家事が一切できず、義母に頼らざるを得ない働き方。「このままでいいのかな…」という違和感は、ずっと心の奥に残っていました。
でも、オンラインなら──場所に縛られず、どこにいても誰かの人生を変えられる。その可能性が、私の未来を大きく動かしました。
意外にも、一番強く背中を押してくれたのは夫でした。3ヶ月間の変化を一番近くで見ていた夫は、「人と数ヶ月単位で深く関わる仕事なら、あなたはもっと成長できるはず」と、真っ直ぐに応援してくれました。
さらに、夫に勧められて受けたStrength Finderの結果には、思わず息を飲むような一言がありました。
私の一番の強みは最上志向。
一行目には──『あなたは良いメンター、トレーナー、またはその両方です。』
その言葉が、最後のピースのように心にはまり、私はアカデミーへの入校を決意しました。
復職と同時に学びをスタートし、休日はすべて成長の時間へと捧げました。
ゼロから技術と知識を徹底的に積み上げ、かつての私と同じように、痛み・不調・体型の悩みに苦しむ方々の力になりたい──そう願って、人生が変わるきっかけを届ける活動を本格的に始めました。
現在 —— ミッションを胸に、未来へ
あの日、たった一冊の本との出会いが、私の人生の軌道を変えました。今度は私が、そのきっかけを届ける側になる番です。
痛みや不調に悩む方が再び自分の体を取り戻し、やりたいことに挑戦できる未来をつくるために。その想いを胸に、日々お客様と向き合っています。
「ユイさんと出会えたことが、この一年で一番良かった出来事です。」
「50代で初めて、自分の体と向き合う大切さを知りました。今度は私も、同じ想いを届ける側になりたい。インスタグラムの発信方法も教えてほしい!」
そんな言葉をいただくようになり、思いもよらない新しい仕事やつながりが生まれています。誰かの人生が動き出す瞬間をそばで見られることほど、嬉しいことはありません。
そして今も私は、自分で整えられる体づくりの輪を、静かに、そして力強く広げ続けています。
お客様とは一生のお付き合いだと考え、その先の未来まで寄り添い続けます。
「Breathe Life」という屋号の由来
新たなチャレンジを始める際、以前から興味を持っていた宿命鑑定を受ける機会がありました。その結果、私には人に教える力があり、地域に貢献することで良い結果を生み出せるという、運命からの大切なメッセージを感じました。この体験が、トレーナーとしての道をさらに極めたいという確固たる思いにつながったのです。
私の好きな曲の中に、「breathe life over me〜♪」というフレーズがあります。日本語では「新しい命やアイデアを吹き込む」という意味で、ボディメイクを通じて人々に新たなエネルギーや気づきを届けたいという私の想いと深く共鳴しています。
また、私はこの活動を、地域内に留まらず海外へも広げ、異なる文化やコミュニティと繋がることで、世界中の皆さんに「Breathe Life」のメッセージが届くようにしたいと考えています。
誰かの心に新たな息吹を吹き込み、地域はもちろん国際的にも活力あふれる未来を築くために、私のこのビジョンは日々形になっています。



